TOP Contents 「Quid Scire」—何を知るべきか

「Quid Scire」—何を知るべきか

「Quid Scire」—何を知るべきか

「Quid Scire」—何を知るべきか。

君は多くを知っているが、本当に知るべきことを知っているのか?

クライアントが直面する課題に対し、時に徹夜しながら多くの時間を投じて膨大な情報収集を行い、徹底分析して出した提案も真の解決につながらないケースは少なくありません。30代の頃だったでしょうか、提案書と数値計画、添付書類合わせて厚さ5センチもあろうかと思われる書類の束を手に、あるベテラン経営者が口にしたこの深淵な問いの前に面食らったことを思い出します。

自信に満ちた若き黒帯の空手家が、老師の一撃にあっさりと膝をつくような、と表現すればいいでしょうか。「一体、あれ(出来事)は何だったんだ?」と「本当に知るべきこととは?」という2つの難問が交差する動揺と共に帰路へ。何かに救いを求めるような思いで書棚から溢れた古書があてもなく逃げ込んだ段ボールの中をまさぐっていました。

情報時代の「知」の再定義

おみくじを引くように引きずり出した本は、なぜか、古典、ウィリアム・ジェームズ(William James, 1842–1910)の「プラグマティズム(Pragmatism: A New Name for Some Old Ways of Thinking)」(1907年)。

プラグマティズムは、「真理とは、実際に機能し、結果を生むものである」という考え方に基づいた哲学の立場で、抽象的な理論や観念の正しさではなく「実際にどのような結果をもたらすか」に焦点を当てているわけです。「”The meaning of any proposition can be found in the practical consequences of accepting it.”(「いかなる命題の意味も、それを受け入れることによって生ずる実際的な結果のうちに見出される」桝田啓三郎訳、岩波文庫版1957年)」という遠い昔、目の前を通り抜けた一文が改めて黒帯(だと思っていた)武道家に刺さったわけです。 

>> つづき

新着コンテンツ